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2013年 03月 03日

名女流ヴァイオリニストたち 3 - ジョコンダ・デ・ヴィト

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チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲、メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
Mario Rossi (チャイコフスキー 1954) / Wilhelm Furtwängler (メンデルスゾーン 1952)
Orchestra Sinfonica di Torino della RAI

ジョコンダ・デ・ヴィト(Gioconda de Vito 1907-1994) は、先に取り上げたブスタボ、マルツィより年上ですが、本格的なコンサート活動を始めたのが30代と遅かったため、同じような時期に活躍していました。
私が改めて申し上げるまでもなく、(後で取り上げる予定のヌヴーと並んで)20世紀最高のヴァイオリニストです。

デ・ヴィトの演奏の特長は、まず、よく「歌う」こと。ヴァイオリンのような旋律楽器は、「歌う」ために作られたものですが、その特性をこれ以上ないほど発揮させています。そして、これは多分に私感が入ってるかも知れませんが、「おんな」を強く感じさせること。表現するのがむずかしいのですが、少女のような清楚さ、愛らしさ、若い女性の持つ情熱、円熟した女性の持つ艶、母親の持つ優しさ、聖性、それらを全部ひっくるめたような「おんな」。女優でいえば、アンナ・マニャーニや山田五十鈴のような、破格の存在感を持った音楽を奏でる人だと思います。
ブスタボは情熱、マルツィは愛らしさ、で抜きんでてますが、他の要素はあまり・・ですね。デ・ヴィトはやっぱり格が・・・、あ、比べるから悪いんですが(^_^;)。



よく「歌う」情熱的なヴァイオリンですが、声高にシャウトしたりとか、大げさなところはなく、表向きは、むしろ淡々とした語りかたです。この、ブラームスのソナタ第一番の第三楽章は、抑揚があまり大きくないため、すーっと流れていってしまうか、よけいなメリハリをつけてスカスカになってしまう演奏がほとんどですが、デ・ヴィトは、ありあまる情感をじっとためながら穏やかに歌っていきます。時折、ためているものがふっとあらわれては消え、最後で一瞬開放され、またすぐ遠くに消え入っていく、そんな、えらく密度の高い演奏です。これ以上の演奏は、ちょっと考えられません。

ところで、de Vito のカタカナ表記ですが、70年代くらいまでは「デ・ヴィトー」となってましたが、東芝EMIがLPレコードでまとめて復刻した頃から、「デ・ヴィート」と変わりました。ですが、デ・ヴィトが亡くなる2年ほど前に放送されたドキュメンタリーでは、アッカルドを始め、登場した人は全て、「デ・ヴィト」とどこも伸ばさずにしゃべっていました。それにならって、「デ・ヴィト」と書いてます。

by kv492 | 2013-03-03 23:40 | 音楽/映画/演劇


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